こん**は、試飲会やFoodexでの疲れを未だに引きずっている@wine_and_webことhirok-kです。
ブルゴーニュの畑名、特にグラン・クリュは憧れでもあり、馴染みのある名前でもありますよね。その名前の由来を知ると、興味深い背景が浮かび上がってきます。なぜ名付けられたのかに思いを馳せながら楽しむのも一興ではないでしょうか。
そこでブルゴーニュのグラン・クリュ名の由来を調べられる限りですがまとめてみました。
目 次
Gevrey-Chambertin(ジュヴレイ・シャンベルタン村)
Chambertin シャンベルタン
champ de sieur Bertin(ベルタン氏の土地)の短縮形と考えらている。Berthは元来ブルゴーニュ方言で明晰、有名を意味する単語であった。この場合のBerth-inはBerthの息子を意味していたものとされている。
Chambertin Clos de Bèze シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ
630年、Bèze(ベーズ)修道院が所有していたことに由来する。以前はChambertinであったが、アマルゲール公爵がベーズ修道院にこの地を与え、修道僧が開墾、ブドウを植えたという。
Charmes Chambertin シャルム・シャンベルタン
ブルゴーニュ方言でCharmesは以前は耕作されていたものの荒地となった土地、またはクマシデに覆われた荒地を意味しているとされている。
Latricières Chambertin ラトリシエール・シャンベルタン
Latricièresは La tricièresの短縮形と考えられ、これはブルゴーニュ方言で耕作に向いていない土地、つまり価値のない土地を意味していたという。中世においては、そこから生まれるワインの品質の高さから、Petite Merveille(小さな驚き)と称されていたという。
Griottes Chambertin グリオット・シャンベルタン
この畑に野生のチェリーが生えていたためGriottesとなったとされているが、他にも説が挙げられており、Griottesは石灰質の礫を意味するcraiの派生語であるcriotteに由来するとされる説、またこの畑が太陽の日照に恵まれていることから、照りつけるを意味するgrilleから派生したという説も挙げられている。
Chapelle Chambertin シャペル・シャンベルタン
Bèze(ベーズ)修道院の教会がかつて存在していたことに由来するという。
Mazis Chambertin マジ・シャンベルタン
ブルゴーニュ方言でMazisは小さな家を意味しているとされている。
Ruchottes Chambertin リュショット・シャンベルタン
岩山を意味するrochersから転訛しruchotsとなり、ruchottesへと変化したという。
Morey St.Denis(モレ・サン・ドニ村)
Clos St. Denis クロ・サン・ドニ
高級貴族であったVergy家によるSt. Denis教会に属すClosであったことに由来するという。
Clos de la Roche クロ・ド・ラ・ロシュ
その名の通り、roche(岩、岩盤)の上にあることから名付けられたという。
Clos des Lambrays クロ・デ・ランブレー
その名前の由来は明らかになっていないが、1365年のシトー会修道院の記録にCloux des Lambreyとの記載があるという。
Clos de Tart クロ・ド・タール
12世紀、ディジョンの南東にあるGenlis近くにあったTart(タール)修道院に属していたことに由来するという。
Chambolle-Musigny / Vougeot(シャンボール・ミュジニー村、ヴージョ村)
Bonnes Mares ボンヌ・マール
豊穣・収穫の女神であるMatronaeに由来するという説の他、ブルゴーニュ方言で耕作を意味するmarerに由来するという説があるという。
Musigny ミュジニー
ガロ・ロマン時代の領主Musinusの名に由来するという。
Clos de Vougeot クロ・ド・ヴージョ
シトー会修道院で有名なこの畑は、そばを流れるVouge川からこの名前となったという。
Vosne-Romanée(ヴォーヌ・ロマネ村)
Echézeaux エシェゾー
Grands Echézeaux グラン・ゼシェゾー
集落や家、建物を意味するラテン語のCASELLUMまたはCASALISに由来するとされ、これから転訛しchesalやcheusotsとなりchezeauxと変化したという。
Romanée St. Vivant ロマネ・サン・ヴィヴァン
13世紀、高級貴族であったVergy家によりこの畑がSaint Vivant修道院へ寄進されたことに由来するという。
Richebourg リシュブール
その名前の由来は明らかになっていないが、ドイツ語で城を意味するburgから派生したのではないかと考えられている。
La Grande Rue ラ・グランド・リュ
村から山へと続く通り道のように畑が伸びていることから名付けられたという。
La Romanée ラ・ロマネ
ローマ時代にすでにブドウがこの畑で栽培されていたことに由来するという。
La Tâche ラ・ターシュ
tâche(労役)として耕作された畑、またtâcheron(労務請負人)が耕作したことに由来するという。
Romanée Conti ロマネ・コンティ
フランス国王ルイ15世の寵妃ポンパドゥール夫人とコンティ家のルイ・フランソワ王子がその所有を争ったことに由来するという。ポンパドゥール夫人はその後シャトー・ラフィット・ロートシルトを愛飲することとなったという。
Ladoix / Aloxe / Pernand(ラドワ・セリニー村、アロース・コルトン村、ペルナン・ヴェルジュレス村
Corton コルトン
田園領を意味するローマ時代の地名に由来するという。
Corton Charlemagne コルトン・シャルルマーニュ
Charlemagne(カール大帝)がこの畑を含むClosを所有していたことに由来するとされている。775年、カール大帝がSaint-Andoche教会に寄進し、それ以降1000年以上に渡って教会が所有していたという。
Puligny-Montrachet / Chassagne-Montrachet(ピュリニー・モンラッシェ村、シャサーニュ・モンラッシェ村)
Chevalier Montrachet シュヴァリエ・モンラッシェ
Bâtard Montrachet バタール・モンラッシェ
Bienvenue Bâtard Montrachet ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ
Criot Bâtard Montrachet クリオ・バタール・モンラッシェ
ピュリニーの領主が子供たちにその領地を相続させるとき、嫡男に与えたのがChevalier(騎士) Montrachetになり、庶子には3つの区画が与えられ、それぞれBâtard(庶子) Montrachet、Bienvenue Bâtard Montrachet、Criot Bâtard Montrachetになったという。Bienvenue Bâtard MontrachetのBienvenueとは、「ようこそ」を意味しており、またCriot Bâtard MontrachetのCriotとは、石灰質の礫を意味しており、畑にそれが見られることにも由来しているという。
Montrachet モンラッシェ
この土地が耕作に向いておらず、土壌剥き出しの地Mont Rachet(禿山)であったことに由来しているという。実際13世紀まで、石切場として以外にこの地が話題にのぼることはなかったとされている。
web
BIVB, Cellier de Bourgogne, Roche de Bellene, 他各生産者サイト
書籍
Le Dictionnaire universal du vin de Bourgogne